こんにちは。
夢求の里交流館、山縣です。
今回で27号目となる「むくろじ8月1日号」が出来上がりました。
シリーズ「少し昔の大道理」の特集の中で、夏の暮らしと食について、大畠地区にお住まいお安野アイ子さんから伺ったお話をこちらにも掲載させていただきます。
『6月8日、9日と行われた「ほたる観賞の夕べ」で、地元の方が栽培された野菜、加工品が販売され、
その中で梅干し、味噌など加工品を出品された安野アイ子さん。
味噌、梅干しともに好評で完売でした。手間暇かかる味噌づくりですが、毎年味噌を個人的に安野さん宅に購入しに来られる方もおられ、今年も二月、大寒の時期に四斗仕込んだものが盆過ぎに出来上がるそうです。
安野 アイ子さん( 大畠)
▲ほたるまつりでの販売の様子です
以前、蒟蒻作りについて、お話を伺ったことがありましたが、今回は梅干し、味噌などの加工品づくりの事、夏の暮らし方についてお話を伺いました。
安野アイ子さん: 『実家は高瀬の木谷という集落で、ダムが出来る前に高瀬に移りました。私は六人兄弟の五番目で、一番上の姉とは十二歳違い、その下に兄が三人、それから私、門前にいる妹(さつきさん)の順です。小学校までは四キロあり、一年生の時は、兄が手を引いて一緒に通ってくれました。
実家は農業をしていて、両親や兄たちが農作業をして、私は小学校高学年くらいから家族の食事を作っていました。母が材料を用意して、「これでおかずを作っちょって」と言われることもあれば、自分で献立を考えて作ることもありました。大家族だったので、食事作りは大変でした。
夏に友達と川へ泳ぎに行っても、夕食づくり等、家の仕事があるので、皆と長い時間遊べず、途中で帰らないといけないのが辛かったです。
実家での加工品づくり・食の話
実家では母が味噌、梅干し、タクアンなどの加工品を作っていました。昔は、今みたいに店で何でも買うことが出来ないので、どこの家でも手作りが当たり前でした。味噌づくりはおくど(※竈、土間、かまどのこと)で、米を蒸したり、大豆を煮たりして、一斗の糀に四升の大豆を入れてこしらえていました。
▲おくど かまど(竈)のイメージ画像です
大豆が不作の時は、少しの大豆にグリーンピース、エンドウ豆を加えて味噌を作っていたこともあります。その時の味噌は少し粘り気が強く、やはり大豆で作った味噌の方が代用の豆で作ったものよりも美味しかったです。
戦後の食糧難の時代には、ミツバチを飼って砂糖の代用にしていて、お餅にハチミツをかけて食べていたこともありました。
大道理の暮らし ~ハレの日の食事
大道理に嫁いで来たのは、二十二歳でした。主人は八人兄弟で、お祭、盆、正月には親族が家に集まるので、大人数になり、準備、片付けなど大忙しで大変でした。お祭りの時はちょうど稲刈りの時期で、当時は鎌を使って手作業での稲刈りなので時間がかかりましたが、お祭の時は一時中断し、早起きして食事の準備などに追われていました。
親族が家に集まった時の食事は、重箱いっぱいに天ぷら、お刺身などのおかずやお土産を入れたものでした。
お盆には、おかずが傷みにくいように、お寿司、大根等の野菜の酢物、焼き魚、南蛮漬け等、酢を入れたものを作っていました。
▲ちらし寿司イメージイラストです
御田頭まつり、観音様のご縁日
大道理の夏には、御田頭祭り、観音様のご縁日、盆踊り、八朔、などのお祭りがありますが、お嫁に来てしばらくの間、御田頭祭りが七月(土用の入りの頃)にあり、三嶋神社御旅所から神輿が出て、門前、西、大畠、鹿野地をまわってお昼に三嶋神社に戻る御神幸が行われていました。
大畠を御神幸される時、私の家にも立ち寄られ、神輿を担ぐ方にキュウリの酢物、そうめん、お酒などのお接待をしていました。
御田頭の前には、ご神幸の道を草刈りや道を※ろくうにする(※平らに)道作りがありました。
暑い季節に鎌と鍬で、広い御神幸の道を整える作業はとても大変なものでした。
観音様のご縁日には、今では皆で福田文子さん宅の観音様のところに集まってお祭りをしますが、割と最近まで、当屋の庭に観音様を運び入れ、集落の人に来てもらって、台所でお接待の準備をしました。昔は沢山の方がお参りに来られていました。
▲大畠地区の観音様
土用干し、お盆のこと
嫁いで以来、夏の土用には、「土用干し」といって、家じゅうの畳を虫干します。
土用干しをすると、畳の裏側が傷みにくくなり、長持ちがします。
庭に垂木を二本ずつ並べて、お日様に当てます。畳を全て干すには二日かかります。
ちょうど、土用の頃は夕立が多く、重たい畳をようやく干し終えて、少しお昼寝をしようと思っていたところに雨が降りだして、慌てて取り込まないといけなくなることもあります。
お盆は、七日日(なのかび)といって、8月7日から15日までの間がずっとお盆だとお姑さんが言っていました。
7日は柏餅の葉を山から採って来て柏餅を作り、竹籠を壁際にかけて、お客さんが来たらお茶と柏餅を出します。
7日日には、子どもは川に七回行って泳ぎ、七回柏餅を食べる良いとされる言い伝えがありました。
大畠の子どもたちは、西地区の川で泳いでいました。
川自体も浅かったのですが、大きな子が年下の子どもたちの面倒をみてくれるため、安心でした。
十四日には、仏壇にハナシバ、果物などお供えし、鬼灯に糸を通して結んだものを仏壇の上部に飾り付けしていました。
▲鬼灯の飾り イメージイラストです
大向の田代の方で、お盆に上の間(仏間)の軒下に船のようなお盆に茄子などの野菜に足をつけたもの(精霊馬)を乗せ、ご先祖様をお迎えされている様子を見たことがありましたが、私の家では、鬼灯を飾り、お供えをするというのが嫁いでからのお盆の迎え方でした。
梅干しのこと
「半夏の雨が降ったら、梅の実が落ちる」という言い伝えがありますが、梅干し用の梅は、梅の肩の毛(産毛状のもの)が取れてツヤツヤになった時が捥ぎ時だと、お姑さんから教わりました。
捥いだ梅は一晩水に浸けて、ヘタを取り、15パーセントの塩で漬けこみ、梅雨が明けたら、三日三晩、お天気の良い日に外で土用干します。
農協婦人部生産部時代、営農指導員の藤田さんに講師で講習会に来て頂き、15パーセントの塩で漬ける梅干しづくりを教わりました。
私は三日三晩よりさらに長く、五日位干します。
なぜ夜も干すのか不思議でしたが、腐るのを防ぐために少し濃い目に漬けた塩分を夜露に当てることで落とすということだと分かりました。
今年は九十キロの梅を6月25日に息子(長男 修二さん)に捥いでもらい、漬けました。』
(7月2日の取材時、水が上がって来ている状態で、7月16日から5日間、天日干しにされています。下の写真参照)
▲2018年7月19日。今年捥いだ90kg
の梅を天日干しされています