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人と自然がつながる里 おおどおり

人と自然が繋がり里をつくり、歴史をつくる 吹きぬける風に誘われて大道理地区に一歩足を踏み入れると そこに広がるのは、あたたかく、笑顔のあふれる暮らし

Welcome to Odori! Be greeted by a warm smile. There is nothing more attractive thana nice smile. Have a good time.

大道理日記

梅の木剪定講習会

こんにちは。大道理は8・9日の早朝うっすらと雪で地面が白くなり、冬将軍到来です。

寒さに負けず、10日に梅の木剪定講習会を開催しました。

山口県農林事務所の職員さんを講師に迎え、梅の実がたくさんできる剪定を教わりました。

剪定作業は休眠期である12月・1月がベストです。2本主枝、3本主枝が管理しやすく、光が当たりやすくなるように剪定します。

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女性も頑張りました!

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スッキリしました!再来年たくさんの実がなりますように。

みそ作り教室開催

こんにちは。暖かすぎた昨日、大道理夢求の里交流館では『みそ作り教室』を開催しました。

株式会社シマヤさんに来ていただき、『みそ』に関する講義とみその仕込み作業を行いました。

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真剣に講義を聞きました。

山口県は麦みそが主流。全国では米みその消費量がなんと8割!

毎日みそ汁を飲むと、胃がんになる確率が低くなる!血圧上昇抑える!老化を遅らせる!肌をきれいにする!

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黙々と仕込み作業。塩と麦麹をまぜ、蒸し大豆をすりつぶし、水を入れてこねる。

タッパーに詰めて、3カ月寝かせて完成!

出来上がりが楽しみです。

むくろじ12月1日号

ふるさとまつりではたくさんの方々にご来場いただき、ありがとうございました。

お陰様で大盛況に終わり、感謝しております。

また、皆様にご協力いただいたフォトコンテスト2018の入賞作品が決定しました。

むくろじ12月1日号をご覧ください。

むくろじ12月1

むくろじ12月2

拡大版は☟こちらをクリックして下さい。

むくろじ12月

 

むくろじ11月1日号

むくろじ11月

むくろじ 運動会2

11月の始まり

大道理の11月は初霜で始まりました。

日中の陽射しは暖かく、すすきが白から銀色に変わり、きらきらと輝いています。

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11月11日には、ふるさとまつりが開催されます。

まつりと景色を楽しみに、ぜひお越しください。

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アサギマダラ

こんにちは。

秋晴れが続く中、『旅する蝶』アサギマダラがやってきました。

フジバカマで吸蜜し、DSC01765ふわふわと飛翔する姿は、時間を忘れ癒されます。

大道理でのんびりしてくださいね。

 

 

少し昔の大道理 ~ 秋の暮らしと農作業のこと ~ 

こんにちは。
夢求の里交流館、山縣です。
大道理地区での少し昔の秋の暮らしについて、今回は、河内にお住まいの有井君枝さんにお話をお聞きしました。
食事や日々の生活のこと、農業のことなどお話下さいました!

有井君枝さん
▲有井君枝さんと畑に植えられた蒟蒻

有井君枝さん:『私は大道理の畑地区で八人兄弟の五番目に生まれ、河内に嫁いで来て70年になります。
幼少期はちょうど太平洋戦争中の食糧難の時代で、食事は早いもの勝ちで、兄弟で取り合いになっていました。

そのような時代だったので、母は、自分の分を減らして子どもに食べさせていたのではないかと思います。カボチャや馬鈴薯をおかゆに入れてかさ増ししたものや、ハダカ麦、小麦をお団子にしておかゆやお汁に入れたものを食べていた記憶があります。

河内に嫁いできたのは十九歳の時でした。小学三年生の時に父を亡くし、母に負担をかけたくないという思いで、親同士の決めた縁談で結婚しましたが、主人と長い間ずっと一緒にいられたということは、良いご縁だったのかもしれません。

河内は、蒟蒻栽培に適した土地で、蒟蒻を作られている方が多かったです。
農閑期に出稼ぎに行かずに蒟蒻栽培で副収入を得ている家も何軒かありました。
農協婦人部の生産部で蒟蒻づくりをしていた時代には、私の家でも沢山栽培していました。

今でも栽培していますが、今年は梅雨明けから雨が降らず、猛暑で乾燥しているので、秋に良い芋が出来るかどうか気になっています。
蒟蒻は、水はけの良い土地を好みますが、あまりに乾燥し過ぎても良くありません。

大道理では、味噌、梅干し、タクアン漬けなど加工品を手作りする家が殆どで、実家でも手作りしていましたが、嫁ぎ先の有井家では、お醤油を自宅で作っていました。
醤油を作るための麹、大豆、麦などを寝かせる専用の三畳くらいの部屋があり(麹室)、そこで、味噌づくりに使う木桶よりさらに大きな木桶で作っていました。
とても大きな木桶でしたが、河内には手先が器用で、農作業の傍ら竹細工をされる四、五十代くらいの男性がいて、その方に木桶の※輪替え(※木桶の竹でしめている部分を一度外し、新しい竹に替えること)をしてもらっていました。

【お盆、お彼岸の迎え方】

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お盆にも、お彼岸にも小麦で作るお団子、柏餅や小豆入りで、タンサンで膨らませた蒸しパン等作っていました。
お盆には、主人の姉が子どもを連れて里帰りしていたので、大ぞうけ一杯になるくらい沢山作りました。
私とお姑さんと二人で拵えていましたが、前の日から準備するので大ごとでした。

【炭焼きのお話】

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私の家では、畑、田んぼと併せて炭焼きをしていました。
昭和38年に大雪(三八豪雪)があり、炭焼きが出来なくなり、その年に主人が就職するまで炭を焼いていました。
炭焼きの窯は赤土を使い、主人やお舅さんが手作りしていました。

炭を焼いていた頃は、毎日炭焼き作業に通いました。
主人が、ナラ、朴の木、クヌギ等の炭木を伐り、伐られた炭木を私が負い子に背負い、窯のところまで運び、焼くための準備をし、それを主人が焼いていました。炭木はとても重く、運ぶのは重労働でした。

炭を焼き始めたら、焼き終えるまでに三日かかります。
火が消えてからも窯の中はしばらく熱く、炭を取り出すまでにさらに時間がかかります。
窯の中の温度が高くなるので、火事を出してはいけないという思いが常にあり、心配でした。

焼き上がった炭は、大向におられた検査する方に、きちんと焼けているかどうか切り口を検査してもらってから、検査を通ったものを炭俵に入れて、久米の方から自動三輪で買いに来られる方に渡していました。

炭焼き作業は、夫婦二人がお弁当を持って、山に行くので、その間、子どもをお姑さんに見てもらっていましたが、子どもが幼いうちはぐずる時に負うて歩いてあやす等、手がかかり、気兼ねなような気持ちがしていました。
大きくなると、近所の子ども達が皆うちに遊びに来て、(子どもならではの)悪さをして騒ぐので、一緒に山に連れて行き、皆でお弁当を食べたりもしていました。

【おやつ】

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こどものおやつは、あんこの入ったお団子を菜種油で揚げたものなどを食べさせていました。

菜の花も山で植えられる場所に沢山植えていて、圧搾して油を取る機械を持っている方がおられ、一斗缶に入るくらい作っていたので、家で栽培している小麦と小豆でお団子を作り、菜種油で揚げていましたが、とても美味しく、ようけ拵えても、子どもたちは沢山食べていました。

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【農作業、牛のこと】

減反政策が始まるまでは、田んぼは八反作って、二十俵(1200キロ)くらい収穫していました。
農業用の機械が普及し始めるまでは、牛で耕していましたが、主人が就職してからは、牛の世話を私がしました。
三頭いた牛に水や餌を与えるのは私の仕事で、牛の餌は干し草、藁、麦を煮たものなどを食べさせていました。
餌は大量に必要なので、土用までには、冬の餌にするために干し草づくりをし、稲刈りを終えた後の藁を餌にするために、月明かりで、夜でも作業が出来る時には、夕食を終えた後で、夜の十時くらいまで藁のうを作りに行っていました。

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▲藁のう(イメージ画像)

稲刈りは、10月の18、19日の秋まつりが終わってからしていました。
刈り終わった稲をハゼ掛けするために運んだものを、主人が縛ってハゼ掛けをしました。
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▲はぜかけイメージ画像

お米は、家の近くの川のひらにあった水車で籾を剥がし、臼を持っている人が家々を回って精米する形でした。
天気の良い時には、ロウソクの灯をともしながら、15キロの袋をかついで水車に米を搗きに行っていました。

 

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▲水車小屋イメージ画像

米作りの他には、野菜づくり、山で椎茸栽培もしていました。
農作業の全てが手作業だった時代には、時間のやりくりが大変で、朝早くから夜中まで仕事をしていましたが、若かったので、出来たのだと思います。

椎茸栽培は、木のええのを伐って何百本も原木にして、栽培していました。
百グラムごとに小分けにすることのできる機械を買ってパック詰めにして出荷し、市場で販売していました。

減反政策が始まってからは野菜を栽培して販売することにも力を入れて、トマト、ナス、グリーンピース、キュウリなど栽培していました。
うちの家は大道理の中でもトマト栽培を早くに始めました。市場の方から野菜を褒められることもやり甲斐になっていました。
南陽市場が閉鎖されるまで、野菜の出荷をしました。河内は土が良く、栽培条件が良く、質の良いものが出来る土地だと思います。』

少し昔の大道理 ~秋の暮らし 番外編 炭焼きのこと~

こんにちは。
夢求の里交流館、山縣です。
夏も終わり九月、田の畔の彼岸花の赤、金木犀の香りが秋の空気のなか優しく香って来て、すっかり秋の気配に包まれていますね。

もうすぐ完成してお届けすることになる、最新号「むくろじ平成30年10月1日号」の「少し昔の大道理」では、河内地区にお住まいの有井君枝さんから「秋の暮らし」のお話を伺い、掲載しました。

有井さんは、昭和38年まで炭焼きをご夫婦でされていたと話されていて、炭焼きについて実物の炭窯を見てみたいというのと、木炭が出来上がるまでを目の当たりにしたいと思っていたところ、大道理地区で唯一、井上哲さんが今でも(生業としてではありませんが)炭焼きをされているという話を井上館長から聞き、これは是非、炭窯を見せて頂きたいと思い、早速連絡を取ってみました。

井上哲さん、山田悦美さんのご兄弟から、炭焼きの予定が近々あり、焼く時に声をかけると言って頂いたものの8月、今年は特別に猛暑が猛威を振るい、暑すぎて出来ないとのことで、しばし時を待つことになり、9月8日。
前回焼いた炭の窯出しから、始まる炭焼きの作業を見せて頂くことになりました。
炭焼き始まり加工

折角炭焼き作業の一部始終を見せて頂いたものの、むくろじの中では、詳しく掲載することが出来ませんでしたので、ブログでご紹介させていただきます!

炭焼きに集まったメンバーは、井上哲さん、山田悦美さん、藤井敏明さんの三人で、だいたいいつも、このメンバーで炭焼きをされているとのことです。雨が時折激しく降る中、ブルーシートで雨除けを作り、窯出し、窯に木を入れる作業をされることになりました。
ブルーシート
▲生憎の雨。作業中雨に濡れないように
炭窯の上にブルーシートをかけています

井上哲さん:「父親が炭焼きをしていて、子どもの頃、作業するところを見ていました。
自分で炭焼きを始めたのは退職してからです。こちらの炭窯は、二代目で、作り直して3年です。
窯は赤土で作る、従来の炭窯の作り方で作っています。
炭焼きはだいだい年に二回しています。
今回炭木に使う木材は、椎茸栽培の原木に使ったものの残りで木炭を作ります。
出来上がった炭は掘りごたつ等に使っています。」

【窯出し】
★前回焼いた炭を取り出します

 

炭取り出し加工
▲取り出し口を密封していたレンガを取り除いていきます

窯出し掘る
▲取り出し口から出来た炭が見えます!

炭だし土除け
▲窯の焚口を塞いでいた土を取り除いています

炭だし運搬
▲窯から焼き上がった炭を取り出す作業をしています

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▲焼き上がった炭を袋に詰めています

 

【窯詰め】

炭木並べる準備加工
▲窯の中で炭木を置くための準備をされています

炭木並べ加工
▲炭木を並べます

炭木並べ窯の中
▲炭木を並べているところです

小木切断作業
▲炭木を並べた上に置く小木を作っています

小木並べる前
炭の取り出し口付近まで炭木が
並べられました

窯詰密封
炭の取り出し口をレンガと粘土を使って密封しています

焚口密封完了
▲完全に密封しました!

【口焚き】

窯の火入れ
▲▼火入れです!窯口で雑木を燃やして火をつけます

焚口火入れ02

窯の中で、炭木に火がつくと炭化が始まります

 

★3日間、窯の中で炭化した後、火を止める作業に入ります。

窯焚口火消し土掛け
▲焚口に土をかけて密封していきます

炭焼き煙突密封火消し
▲煙突部分にも土をかけて密封封鎖し、火止め終了です

以上、一連の流れで、大道理鹿野地では、炭焼きをされています。

時折激しく雨が降る中、私の質問に答えつつ、重たい炭木を運び出したり、窯に運び入れたりと大変な作業をされ、
炭焼きの窯出しから、窯に炭木を運び入れるところ、口焚き、火を止めるまでの作業を見せて頂き、貴重な体験でした!
井上哲さん、山田悦美さん、藤井敏明さん、本当にありがとうございました!

少し昔の大道理 ~夏の暮らしと食~

こんにちは。
夢求の里交流館、山縣です。

今回で27号目となる「むくろじ8月1日号」が出来上がりました。

シリーズ「少し昔の大道理」の特集の中で、夏の暮らしと食について、大畠地区にお住まいお安野アイ子さんから伺ったお話をこちらにも掲載させていただきます。

『6月8日、9日と行われた「ほたる観賞の夕べ」で、地元の方が栽培された野菜、加工品が販売され、
その中で梅干し、味噌など加工品を出品された安野アイ子さん。

味噌、梅干しともに好評で完売でした。手間暇かかる味噌づくりですが、毎年味噌を個人的に安野さん宅に購入しに来られる方もおられ、今年も二月、大寒の時期に四斗仕込んだものが盆過ぎに出来上がるそうです。

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安野 アイ子さん( 大畠)

 

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▲ほたるまつりでの販売の様子です

以前、蒟蒻作りについて、お話を伺ったことがありましたが、今回は梅干し、味噌などの加工品づくりの事、夏の暮らし方についてお話を伺いました。

安野アイ子さん: 『実家は高瀬の木谷という集落で、ダムが出来る前に高瀬に移りました。私は六人兄弟の五番目で、一番上の姉とは十二歳違い、その下に兄が三人、それから私、門前にいる妹(さつきさん)の順です。小学校までは四キロあり、一年生の時は、兄が手を引いて一緒に通ってくれました。

実家は農業をしていて、両親や兄たちが農作業をして、私は小学校高学年くらいから家族の食事を作っていました。母が材料を用意して、「これでおかずを作っちょって」と言われることもあれば、自分で献立を考えて作ることもありました。大家族だったので、食事作りは大変でした。

夏に友達と川へ泳ぎに行っても、夕食づくり等、家の仕事があるので、皆と長い時間遊べず、途中で帰らないといけないのが辛かったです。

実家での加工品づくり・食の話

実家では母が味噌、梅干し、タクアンなどの加工品を作っていました。昔は、今みたいに店で何でも買うことが出来ないので、どこの家でも手作りが当たり前でした。味噌づくりはおくど(※竈、土間、かまどのこと)で、米を蒸したり、大豆を煮たりして、一斗の糀に四升の大豆を入れてこしらえていました。

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▲おくど かまど(竈)のイメージ画像です

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大豆が不作の時は、少しの大豆にグリーンピース、エンドウ豆を加えて味噌を作っていたこともあります。その時の味噌は少し粘り気が強く、やはり大豆で作った味噌の方が代用の豆で作ったものよりも美味しかったです。

戦後の食糧難の時代には、ミツバチを飼って砂糖の代用にしていて、お餅にハチミツをかけて食べていたこともありました。

大道理の暮らし ~ハレの日の食事

大道理に嫁いで来たのは、二十二歳でした。主人は八人兄弟で、お祭、盆、正月には親族が家に集まるので、大人数になり、準備、片付けなど大忙しで大変でした。お祭りの時はちょうど稲刈りの時期で、当時は鎌を使って手作業での稲刈りなので時間がかかりましたが、お祭の時は一時中断し、早起きして食事の準備などに追われていました。

親族が家に集まった時の食事は、重箱いっぱいに天ぷら、お刺身などのおかずやお土産を入れたものでした。
お盆には、おかずが傷みにくいように、お寿司、大根等の野菜の酢物、焼き魚、南蛮漬け等、酢を入れたものを作っていました。

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▲ちらし寿司イメージイラストです

御田頭まつり、観音様のご縁日

大道理の夏には、御田頭祭り、観音様のご縁日、盆踊り、八朔、などのお祭りがありますが、お嫁に来てしばらくの間、御田頭祭りが七月(土用の入りの頃)にあり、三嶋神社御旅所から神輿が出て、門前、西、大畠、鹿野地をまわってお昼に三嶋神社に戻る御神幸が行われていました。
大畠を御神幸される時、私の家にも立ち寄られ、神輿を担ぐ方にキュウリの酢物、そうめん、お酒などのお接待をしていました。
御田頭の前には、ご神幸の道を草刈りや道を※ろくうにする(※平らに)道作りがありました。
暑い季節に鎌と鍬で、広い御神幸の道を整える作業はとても大変なものでした。

観音様のご縁日には、今では皆で福田文子さん宅の観音様のところに集まってお祭りをしますが、割と最近まで、当屋の庭に観音様を運び入れ、集落の人に来てもらって、台所でお接待の準備をしました。昔は沢山の方がお参りに来られていました。

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大畠地区の観音様

土用干し、お盆のこと

嫁いで以来、夏の土用には、「土用干し」といって、家じゅうの畳を虫干します。
土用干しをすると、畳の裏側が傷みにくくなり、長持ちがします。

庭に垂木を二本ずつ並べて、お日様に当てます。畳を全て干すには二日かかります。
ちょうど、土用の頃は夕立が多く、重たい畳をようやく干し終えて、少しお昼寝をしようと思っていたところに雨が降りだして、慌てて取り込まないといけなくなることもあります。

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お盆は、七日日(なのかび)といって、8月7日から15日までの間がずっとお盆だとお姑さんが言っていました。
7日は柏餅の葉を山から採って来て柏餅を作り、竹籠を壁際にかけて、お客さんが来たらお茶と柏餅を出します。
7日日には、子どもは川に七回行って泳ぎ、七回柏餅を食べる良いとされる言い伝えがありました。

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大畠の子どもたちは、西地区の川で泳いでいました。
川自体も浅かったのですが、大きな子が年下の子どもたちの面倒をみてくれるため、安心でした。

十四日には、仏壇にハナシバ、果物などお供えし、鬼灯に糸を通して結んだものを仏壇の上部に飾り付けしていました。

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▲鬼灯の飾り イメージイラストです

大向の田代の方で、お盆に上の間(仏間)の軒下に船のようなお盆に茄子などの野菜に足をつけたもの(精霊馬)を乗せ、ご先祖様をお迎えされている様子を見たことがありましたが、私の家では、鬼灯を飾り、お供えをするというのが嫁いでからのお盆の迎え方でした。

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▲精霊馬イメージイラストです

梅干しのこと

「半夏の雨が降ったら、梅の実が落ちる」という言い伝えがありますが、梅干し用の梅は、梅の肩の毛(産毛状のもの)が取れてツヤツヤになった時が捥ぎ時だと、お姑さんから教わりました。

捥いだ梅は一晩水に浸けて、ヘタを取り、15パーセントの塩で漬けこみ、梅雨が明けたら、三日三晩、お天気の良い日に外で土用干します。

農協婦人部生産部時代、営農指導員の藤田さんに講師で講習会に来て頂き、15パーセントの塩で漬ける梅干しづくりを教わりました。
私は三日三晩よりさらに長く、五日位干します。
なぜ夜も干すのか不思議でしたが、腐るのを防ぐために少し濃い目に漬けた塩分を夜露に当てることで落とすということだと分かりました。

今年は九十キロの梅を6月25日に息子(長男 修二さん)に捥いでもらい、漬けました。』
(7月2日の取材時、水が上がって来ている状態で、7月16日から5日間、天日干しにされています。下の写真参照)

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2018719日。今年捥いだ90kg
の梅を天日干しされています

大道理夢求の里交流館(大道理市民センター)職員募集

こんにちは。

大道理夢求の里交流館から職員募集のお知らせです。
この度、大道理夢求の里交流館(大道理市民センター)の事務長(地域コーディネーター)、事務職員(各1名)を募集いたします。

★ 募集期間 7月17日 ~ 8月19日

詳細は、以下のチラシ及び募集要項をご覧ください。

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▲職員募集チラシです

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事務員募集要項2面改


▲大道理市民センター事務員募集要項です

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事務長募集要項2面

 

▲大道理市民センター長(事務長)募集要項です

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▲大道理市民センター職員選考申込書(表面)

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▲大道理市民センター職員選考申込書(裏面)

【応募方法】

履歴書(様式不問)を郵送または持参にて以下申し込み先までご提出ください。

提出期限:平成30年8月19日(日)必着

【申し込み・お問い合わせ】

〒745-0242
周南市大字大道理1332番地 向道支所内
大道理夢求の里交流館運営協議会 会長宛

☎0834-22-8332(周南市地域づくり推進課 担当:佐藤)

ODORI FUTURE 人と自然が繋がり里をつくり、歴史をつくる ここにはまだまだたくさんの宝物がある。 なにもないのではなく、普段のくらしで気づいていない宝物を見直し、協力し、大きくする それはこれからどんどん高齢化が進む社会の中でとても重要なことです。 大道理地区はこれからも地域の人々が協力し合い笑顔のあふれる暮らしを目指していきます。